2013年5月13日 星期一

醫學博士 洪長庚

醫學博士 洪長庚
東京 帝大 洪長庚博士  指導教授 井上通夫 函 三位老師介紹
洪長庚 醫學博士 年史

國語學校時期 岡本要八郎 為恩師
赴日 住木村匡氏京都 家 視如父般
大阪醫科大學眼科學教室 恩師 宮下左右輔(著有宮下小眼科學)
kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/934339/81
東京帝國大學 醫學部 石原忍 井上通夫 兩恩師 指導下 得 醫學博士學位
井上通夫 いのうえ-みちお
 1879-1959 明治-昭和時代の解剖学者。
明治12年2月28日生まれ。ヨーロッパに留学し,大正10年東京帝大教授となる。のち日本歯大教授。口蓋(こうがい)の発生機構や顔面の形成などの研究で知られた。昭和34年6月4日死去。80歳。徳島県出身。東京帝大卒,東京外国語学校卒。旧姓は笠井。

石原 忍(いしはら しのぶ、1879年9月25日 - 1963年1月3日)は、日本の医学者、眼科医、陸軍軍人(最終階級は軍医少将)。東京帝国大学教授。東京都生まれ。
来歴・人物
府立四中、一高、東京帝国大学医科大学卒業。陸軍軍医に任官し、陸軍軍医学校教官等を経て1937年3月に東京帝国大学医学部長、東京逓信病院長。1943年4月前橋医学専門学校初代校長。
1934年石原式国際色盲検査表を発表。他にも色々な測定表を創案する。また、近視の研究に於いても功績を残す。1940年朝日文化賞[1]、学士院賞のほか、1961年文化功労者。

宮下左右輔 みやした-そうすけ
 1882-1948 明治-昭和時代の眼科学者。
明治15年8月1日生まれ。大正2年大阪府立高等医学校教諭となり,のち後身の大阪医大(現阪大医学部)教授。12年眼科医院をつぎ,東京帝大講師,東京女子医専教授をかねた。藤原あきとの結婚歴がある。昭和23年1月20日死去。67歳。東京出身。東京帝大卒。